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Essay:Dial M

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Vol.11 時は揺れている

Apr 2002
ひさしぶりに三輪神社を詣でる。
10年ほど前、東大寺をテーマにしたハイビジョン映像を作ったとき以来、ここは自分にとって大切な場所のひとつ。
あのときは東大寺から遡って三輪神社、笠山荒神、飛鳥岡寺と巡ったっけ。
もちろん三輪神社は日本最古の神社で、山そのものがご神体という古式豊かなスタイルで、
山はきれいな三角錐。とぐろを巻いた蛇の形で、神の使いとして蛇を奉っている。
ぼくも社のヒトに倣って、蛇のことを"ミ-様"と呼ぶ。   
撮影中にその"ミ-様"がスルスル出現して、スタッフを驚かせた。   
神社のヒトも「不思議なこともあるもんですなあ」と、感心したように見ていた。   
ヘビをモチーフにした撮影を、ヘビを奉る神社でしていて、ヘビが現れた、ただそれだけのことですが。   
ああ、その撮影の時は甲田益也子さんが蛇の化身を演じてくれたっけ。   
映画の前に軽くお手合わせ、ということで出演依頼して、あの時もずっと『白痴』の話をしていたなあ。   
ふたりで密かにリハーサルをした夜、旅館の部屋で表情ひとつ変えずにポロポロ涙を流す甲田さんを見て、
ぼくはクラクラと目眩がしたのを思い出した。
映画の監督をしていると、めったに涙なんか流さない人の涙をよく見てしまう。
よく考えてみれば、ぼくの映画ではいつも女性の涙が重要な場面になっている。
最初の8ミリ映画『FANTASTIC★PARTY』の山本奈津子チャン、『MOME  NT』のポッキーこと矢野ひろみ、
『白痴』の橋本"銀河"麗香…。   
なぜかそろって17歳だったヒロインたちは皆、素敵な涙で映画に潤いを与えてくれた。  
蛇や龍は、清らかな水の流れを顕すもの。     

サテ三輪神社でおみくじをひくと、またも大吉。   
なぜか今年は大吉づいている。   
年の初めに詣でる伏見稲荷がそもそも大吉。   
その後も、ゆく所ゆく神社必ず大吉が出る。   
四回連続。   
偶然も三回以上続けば必然か…。   
気分いいので三輪ソウメン食べて帰る。     

どうして大吉が続くのか。   
みくじで大吉が出ることは、それほど珍しくなく、問題ではない。   
しかし、同じひとりの人間が神社へ行くたびに大吉が出る、それが"続く"ということに意味が隠されている。   
確率だの偶然だのという現象に必要なのは、まさに"タイミング"だ。   
わずかにタイミングを逃せば、偶然は起こらない。   
timing.   
日本語で時機という。   
そして時機という言葉にはchanceという訳もある。   
chanceには、偶然という意味もある。   
はて、タイミングと偶然のカンケイは…?     

友人と映画のキャスティングの話をしていて、窪塚洋介くんの話題になった。   
数日後、その友人の妹が勤める会社が契約しているスポーツジムの利用が、
たまたま(偶  然!)抽選で当たり、姉妹は連れ立ってふたりでそこへ行ったんですって。   
見晴らしの好いジャグジーで寛いでいると、そこにいた坊主頭の青年を見てビックリ!  
もちろん、窪塚クンだったというわけ。   
そこで友人たちは考えた末に話しかけて、しばらく会話に花が咲き、当然のように僕の話題になったんだという。   
実はその翌日、ぼくはまたその友人に会う約束をしていたので、今度は窪塚クンの話した話題で盛り上がって…。   
偶然を介して、窪塚クンと間接的なコミュニケーションをしたことになった。   
きっとこのハナシには、さらに後日談が生まれるんじゃないかな。   
こんな偶然はホントに良くあるんです。   
それもこれも、秘密はタイミングにあるのではなかろうか。   
ぼくは、この世でうまく生きてゆくには、正しいタイミングを掴むことだと想った。   
日々、うまく行くことと、そうでないことがあるでしょう?   
なぜうまく行ったのか、なぜダメだったのか、様々な原因はあるかもしれないけれど、  
結局のところタイミングが一番重要になってくる。   
ホラよくあることで、電車やバスがタイミングよく来たり、タイミング悪く行ってしまったり。
車を運転していると、赤信号で止まるタイミングがどのくらいあるか。   
完璧な計画だって、タイミングがズレればすべてが台無しになるってこと。   
逆に、何も考えずに適当にしていたって、タイミングさえ合っていれば問題なく、うまく進むことだってある。   
どんなルールがそこに潜んでいるのか。   
もし、タイミングを想った通りに掴めないとすれば、それこそ時間が動き回っているからではあるまいか…。

時は揺れている。   
この間から、ずっとその言葉がアタマの中を巡っている。   
いや先月、自分で言ったことなんですけどね。自分で言っておいて、それはどういうことなのかなあ、って。   
物質が揺れている、ということはウスウス知っていて、
だからファジーだのユラギだのって言葉が現代物理学では当たり前のように使われるのですが、
きっと原子はクルクル・ ピョンピョンと飛び回り、世にもフシギな振動を作り出していることでしょう。   
ピョンピョン、は大事だ。
眼で見て静止している、止まっているようなモノでも、ホントは微妙に揺れている。   
あの、映画館で観る映画の画面ってね、わずかに上下に揺れているんですよ。   
映写機の構造上、どうしてもそうなってしまう。   
気にしなければほとんどわからないことだけど。   
上がったり下がったり、実は揺れてるんですヨ。   
そんな風に、この世も揺れているんだろうな。   
と思っていたんですが、バイブレーション、つまり波動は、横から見れば波型だけど、
縦から見れば円となって、つまりある種のらせん運動かもしれない。と…。

そこで思ったのは、時間もそんな風に揺れているのではないか…。   
先月は、時間が行きつ戻りつ、過去から未来、前後に揺れている、って話だったけど、
時間は横にも揺れているんじゃないか。   
というより、直線的なベクトルではなく、らせんのように進んでいるのではないか。   
だから同じ"瞬間"でも、あっちとこっち、ふたつの時の間を計測不可能な速度で行ったりきたりしているのでは。   
つまりこの瞬間、と想っている間にも、実は幅があって、瞬間の点から別の点へ動いている。   
なぜそれを日頃、感じないかといえば、たとえばふたつの点の間の移動を真横から見れば
ただの点にしか見えない、あんな感じじゃなかろうか。   
そういえば「時間」「瞬間」というけれども、決して「時点」「瞬点」とはいわない。、 
あくまでそこに「間」が存在する。    
揺れるだけの間がある。     

ビデオの信号は、タイムで表現します。   
ビデオの映像信号に、何分何秒、というタイムを合わせて読み取る。   
映像のある瞬間は、何分何秒何フレームめ、と指摘できるんだけれど、複雑な編集をしていると、
思いも寄らないズレ方をするときがあるんです。
それは、装置が何かの刺激で、映像信号の裏を読んでしまった時。
瞬間の映像はひとつであっても、実は読み方によって、そこにはいくつかの時間が存在してしまう。   
サテ現実は?     

うまくゆくこと、うまく行かないことが偶然に積み重なって、時間の揺れを気にしているぼくは、
いま、なにかを掴みかけているような気がする。
なにか、わからないけど大事なこと。   
時間は、特殊な運動で揺れている。   
物理的にはそれを知覚できなくとも、ココロは何かを知っている。   
だからたまに偶然の一致という現象となって現れる。   
それだけじゃなくて、眼に見えないこと、科学で説明できないこと、たくさんあるけれど、
それもぼくらの知らない時間の揺れの中に起きているんじゃないだろうか。    
自分の時間が知りたい、というのは、自分の持っている時間の揺れと、相手の時間の揺れの接点が知りたいということ。   
タイミングというのは、まさにその揺れのどの位置を掴むかということではないのか。   
うまいタイミングを掴みたい。   
うまくゆく偶然に巡り合いたい。   
偶然のきっかけが重なって、ひとりの人生を大きく変えてゆく。   
もし、そのルールが理解できるとしたら?   
いや、アタマで理解しなくてもいい。   
ココロでそれを掴みたい。   
そしてそれは、とてもカンタンなことのような気がする。   
たとえば時間の動きを的だとして、ぼくはどうにかして、それに矢を討って当てたいのである。   
マトはグルグル回っている。オモテとウラ、ふたつの時の狭間に。   
待てよ、マテヨ。   
そのカタチって、なにか見覚えが。   
ああ、タオのマークね。   
陰陽のマーク。   
あれか!   
ぼくは若い頃から、それこそどんな意味か知らないうちから、あのマークがとても好きでした。   
白と黒。表の世界とウラの世界。   
白い髪で黒い服を着たりするのも、あながち無関係とは言えない。   
岡野玲子と暮らしているのもそういう理由か?   
家の玄関には、床に大きな陰陽のマークがあって、そこかららせん(階段)が上にのびているんですよ。   
今日もそこに立って、想像してみよう。   
グルグル回りながら進んでゆく、時間の揺れ具合を。      

すべてはタイミングだ。   
timeには調和する、という意味もある。   
黒は黒、白は白に収まること。     

だんだん妄想が深くなってきましたね、このエッセイは。  

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