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Essay:Dial M

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Vol.10 映画は時間を作る

Mar 2002
横浜美術館で実験映画に関する講演と『2001』のお披露めというか初上映があったんですけど、
ひさしぶりに映画について、たっぷり話しました。  
あまり作家は自作について語るべきではないと思うんですけど、たまにそれを知るのも いいんじゃないかって。
それにぼくは忘れっぽくて、どんな話をしたのか、すぐ忘れちゃう。  
後で思い出すと、これがけっこう自分にとっても刺激になる、面白い話していたり。  
だから今回話したことの要約を、ここに採録しておきますね。

個人で映画をやっていると、ある日、面白いことに気付くんですよ。  
時間に関することなんですけども。  
時間の長さって、見たり触れたりできないですよね。  
映画では、できるんです。  
フィルムってあるでしょう。  
映画館でかかっている映画のフィルムは、35ミリといって、皆さんが撮る写真のフィ ルムと同じ形のフィルム。
ふつう映画では24コマが1秒なんですね。  
ということは24枚撮りのフィルム1本で映画の1秒、と考えてもらうと分かりやすいかな。(実際は2秒分あるけどね)
ぼくは学生の時からずっとフィルムを触っているから、1秒がどのくらいの長さか、フィルムの長さで分かる。
1秒がだいたい45センチ。  
8ミリフィルムだと、およそ10センチ。  
ほんとに、手の上に載ってしまう。1秒が。  
映画の編集をしていると、時間を切ったり貼ったり、時間そのものを編集している気持 ちになるんです。  
時間をつまんで、手の上に載せて、別の時間とくっつける。  
24分の1秒って単位まで、時間を細かく刻むことができるんです。    

24分の1秒で、世の中はどうなっているのか。  
どう動いているのか。  
たとえば歩いている人は、24分の1秒でどんな格好をしているのか。  
映画カメラの発明のきっかけは、走っている馬の四本の脚が地面から離れる瞬間はあるのか、
っていう"賭け"から始まったというエピソードが知られてます。  
走る馬の瞬間を連続して撮影できる写真機を工夫しているうちに、映画のカメラが出来 上がったという。
いまから120年ほど前の話ですが。  
そしてぼくら映画作家は、24分の1秒の動きを自然に知ることができるようになった というわけです。  
もしフィルム1コマ、つまり24分の1秒間、スクリーンの片隅に異物が映ったら、
まずふつうのお客は気付かないと思いますが、ぼくはわかります。それが仕事だからね。  
ついでにいえば、テレビやビデオの技術者たちは、30分の1秒の小さなノイズを見逃 しません。  
特殊な能力ではなく、彼らにはそれが仕事で、慣れてるから。    

映画の編集はとても面白くて、1秒2秒といった緻密な長さの積み重ねをしてゆくんで すが、
その一方で1時間、2時間っていう長さをコントロールする。  
たとえば映画を観ていて長く感じる時もあれば、短く感じたりもするでしょう。  
観客が飽きずに映画を楽しめるように、編集者たちは工夫をして、観客が見疲れてくる 頃、
ストーリー運びのテンポを上げたり、いろいろ考えて作っているのです。  
逆に、時間の「長さ」を感じさせようと思ったら、うんとゆったりしたテンポを作り出 せばいい。  
ぼくは実験映画の中で、よくそんな編集の仕方をします。
観客はとてつもなく退屈して しまったり、長くてイライラしたりするんですけどね。    

映画が長く感じたりするというのは、そんな気分だと思うかもしれませんが、じゃあ、時間の長さってなんでしょう?
ぼくはそんな気分こそがホントは時間そのものじゃないか、と想うんです。
時計の針の上では1分はたしかに1分ですが、そんな物理的時間とは別に、ココロの時 間では1分は1時間にもなってしまう。
というより、もともとココロに決まった時間感覚はない。
だから様々な時間が出来上がってしまう。  
そんなココロの時間を作れるのだから、映画って面白いですよ。    

ところで映像は、ほかにも特殊な時間感覚を持っている。  
例えば劇映画の場合、1週間の出来事を2時間で見せたり、
場合によっては100年の歴史を1時間に凝縮することもできるでしょう。  
ホラ『A.I.』なんかは、2万年にまたがる物語だったじゃないですか。  
その逆に、たった5分の出来事をうんと引き伸ばして見せたりすることもできます。  
スローモーション(高速度撮影)を使えば、1秒間にフィルムは100コマにも200コマにもなる。  
『白痴』のクライマックス、燃え上がる炎の場面では、7倍のスローモーションが使われましたが、これだと1秒が168コマ。
映写される時にはふつうのコマ数に戻るので、1秒が7秒になって見えるわけです。

『2001』という映画は、"2001年"という、人間の歴史のある狭間を、大きな時間の流れの中でイメージしてみたんです。
それこそ100年ほどの単位の動きの中で、中心に2001年をポンと置いてみた、そんなイメージ。  
だから映像は古くもあれば、新しくもある。  
ノスタルジックでもあれば、未来的でもある。  
自分のココロが感じた"2001年"は、そんな感じなんですよ。  
ヒトの歴史の、大きな狭間と想うんです。  
そして、それこそ100年単位の時間の揺れを、1秒の24分の1の揺れに還元。  
揺れている24分の1秒、揺れているヒトの時間を作ってみたんです。  
これは『実験映画』の中でも行った手法なんですが、写真を使ったシンプルなアニメー ションをやっています。
連続写真を映画カメラで1コマずつ再撮影すれば、その画像が動くというのは過去に馬の走りを撮った写真で証明されました。
もしその24枚を撮影するのに、1秒ではなく、1分かかったとしたらどうでしょうか。
そして、その中の1枚を撮影する時に、1秒かけてシャッターを切ったとしたら…。
1秒間が凝縮された24分の1秒が、さらに24個集まって、新しい1秒が作り出され るという。  
わかりますか?  
アタマ混乱してきましたか?    

『2001』の中には、1秒の動きを1分かけて動いてもらい、それを1分かけて撮影し、
再び1秒に還元して見せるという、タイヘンややこしい方法を取って作り出した映像があるのです。
濃縮還元映像ですね。  
しかもその24分の1秒を入れ替えて、時間が瞬間的に行きつ戻りつしている動きを作 り出した。
こうしてぼくらは時間の揺れを映像で疑似体験できるというわけです。  
通常の映画の映像を超えた体験を、時を超えてできるという。  
それが実験映画が表現できる面白さ、なんですが。    

そんな映像を作りながら、やっぱりぼくは時間は揺れている、と想ってしまう。  
いまが今である、というのは、時計の上でのハナシで、今は昨日とダブっているかもし れないし、
明日と重なっているかもしれない。  
ただあまりに知覚できないほどの速さで揺れている、振動しているものだから、誰も気 付かずにいるのでは…。
今日は何千年も前と重なる。  
明日は何万年後かもしれない。  
このフシギな時間と、自分のカンケイは、どう保てば良いのでしょうか。

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