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Vol.1 EGYPT2001

Jan 2001
いよいよ21世紀。  
なんか、ワクワクしてきます。何かが始まる感じで。  
なんていうとすぐ「西暦だから日本はカンケイない」とか「そもそも自然の暦じゃないんだから、けっきょく人間にも影響しない」と醒めた御仁がおりますが、ぼくの最近のテ ーマは「関係が大切」と「偶然が秘訣」。
なので偶然にしろ2001年を数えるのだから、理由がなくともそこにカンケイを築くのがヴィジュアリスト。
ということで、今年の初詣ではエジプトの神殿に参りました。  
なぜエジプトか。  
それもまったく理由なしです。
20世紀のおわりに新聞をパッと開いたら、エジプト旅 行の広告がたまたま目にとまったから。
そういえば、仕事以外の海外旅行なんて、10年ぶりかも。

ところで、いつもなら年始は京都伏見の稲荷に詣でます。  
そのムカシ、ぼくが旅先にて原因不明の熱病にかかり今しも倒れそうだったとき、偶然 この稲荷の近くを通りかかり、熱はあるけどここはひとつ参拝してゆくか、と鳥居を潜っ たらアラ不思議。たちまちスッと熱が退いて元気になってしまった。
以来この稲荷は相性の良い守護神社になってしまったのでした。ウチの神棚にも稲荷が奉ってあります。
今年はマァ特別ということで、狐さんにはシツレイして、3時間で行ける伏見ではなく、20時間かかるカイロまで行きましたが、さすが世界の誇る観光地。伏見とはスケールが違う。
もっともスフィンクスやギザのピラミッドは、あまりにも観光地すぎて、すぐ前にはマクドナルドやらケンタッキーやら、マンションは建ってるは日本語でお土産売ってるわ、なんだか奈良の東大寺といった感じで、落ち着かない。
でも日本人なら、一生に一度はゆくところだと思ったな。理由ないけど。  
一番大きいのはクフ王が作ったとされるピラミッドなのだけれど、カイロの考古学博物館に、このクフ王の像が一体だけ展示されている。現存しているのはその一体だけ。
これが、わずか五センチほどのちっちゃな人形。あの大ピラミッドを作ったクフ王が、わずか五センチ。
微笑ましさを通り越して、思わず涙が出そうになった。なんだか、人間っていとしい。
巨大な石の塊よりも、やっぱりヒトがいとしいと想ってしまった。    

ギザのピラミッドよりさらに古い、サッカラの階段ピラミッドは現存する世界最古の建物。
およそ五千年前。
こっちの王様(ジェセル王)は大きな彫像がいくつか残っていて、そのうちのひとつはピラミッド背後の石の小屋の中から宇宙の星を眺めている。
誰かがこれは宇宙船だといったけど、それにしては味気なさすぎ。
もちろんすべてが古すぎて、何がいつのホンモノなのか、わからない。
古代エジプト人宇宙人説、地球人の祖先は宇宙から来たなんて説があるけど、ぼくは気 にしない。
だって地球人だって、けっきょく銀河系に住んでる宇宙人だもの。  
五千年前のピラミッドに詣で、中に入ったけれど、もちろん何かがあるわけじゃない。
コウモリのフンとサソリがいるだけ。  
でも、よくいわれるように、その建築技術はスゴイ。
信じられないような大きさの石が あまりにもきれいに(整然と、複雑に)組合わさって、本当に隙間なく、巨大な空間をし っかり支えている。  
五千年という時間の距離はいったいなんだろうと、素朴に想ってしまった。
その間に、人間や世界はどれほど変わったのだろう。というより、その時間はけっきょくぼくらに何 を与えてくれたのだろうか。
そんな時間たいした問題じゃないよといいたげに、ピラミッドはそこにあって、ぼくたちを迎え入れてくれる。
そう、昔だから今だからって、そんなに気にする必要なんかない。
未来だって、きっと今と変わらず、過去と同じじゃないだろうか。
ルクソールの神殿は、とても美しい。  
古代エジプトの神殿は、もともと極彩色の絵画で覆われていた。
壁をびっしり埋めるあのヒエログリフは、すべてカラーだったのだ。
時の流れが消し去ったのは、その鮮やかな色彩。
今でもわずかに残る色が、年々消えていっている。五十年後には、もう当時の色は見えなくなるそうだ。
単純な風化ではない。
アスワンハイダムを建設したおかげで、ナイルは 洪水がなくなった。
その代償として、岩塩が流されずに遺跡の表面に吹き出して、アートを破壊する。
誰にも止められない。現代の科学でも。
映画『フェリーニのローマ』で、地下鉄工事中に発掘された古代ローマ遺跡の壁画が、どんどん消えていってしまう、あの場面を思い出した。

いくつかの神殿の天井には、まだきれいな当時の色が残っている。その色の美しさ。
ところが、ところによって天井は真黒く汚れている。
現地のガイドの説明によると、キ リスト教徒が焚いた火のせいだという。
何千年というちっぽけな人間の暦の中で、古代の神殿は後からやってきたキリスト教の教会として利用されていった。
そこで明かりとして火が焚かれ、ススが遺跡を真黒に汚したのだ。
待てよ。じゃあ、もともとの神殿は、どうやって明かりを付けていたのだ。火を焚かず に。
現地のガイドは、何でもないかのようにこういった。
「電気ですよ」
待て待てまてよ。三千年以上前だよな。
「ほら、あそこの壁画に発電機が描かれているでしょう。仕組みはわかりませんが、原始的な発電装置があったんでしょうね」
それ、本当に原始的なのか?
しかも発電機の横に座ってそれを操作しているのは、どうみてもサルだけど。
「神殿ではヒヒを飼い慣らして、電気のスイッチを入れさせたりしていたんでしょう。 人間が感電すると危ないですからね」
感電って、そういうモンダイか。
つまり古代エジプトでは、ヒヒに発電機を使わせていたと…。

ウソかホントウか。よくわからない。  
壁画を残した古代エジプト人は、とっくに絶滅してしまっている。  
彼らがどんな人々でどこから来たのか、どこへ行ったのか、わからないし、知りたくも ない。
再生を信じて、ミイラを残した古代のエジプト人。  
遺伝子研究がこのまま進めば、いつか彼らは本当に「再生」するのだろうか?
あるいは、それを見越してミイラを残していたのか。
ぼくは、ハッと何かに感づいた。  
もしかしたら、世界は本当は繰り返しているのじゃないだろうか…。  
何度も何度も、やり直しながら、リピートしているんじゃないだろうか。  
タイムマシンどころではなく、もっと大きな力によって。  
エジプトにいながら、ぼくは時間の中心にいる自分を感じてしまった。  
いま自分のいるここが、暦の中心だ。  
ここが、折り返し点かもしれない。    

なにがホントウで、なにがウソか。  
でも、ウソもホントウも、もうどうでもいい気がする。  
きっと真実は、人間の英知などよりさらに頑固なものなのだろう。  
こうして、五千年の短いトリップの間に、ぼくはすっかり「どうでもいい」ヒトになっ てしまった。
なんだって、なるようにしかならない。偶然の積み重ねでしかない。  
だからジタバタしない。  
だから、偶然の出会いの中で、カンケイを築いてゆく。
そして、カンケイを大事にして ゆこう。
巨大な石造物だって、五センチのクフ王だって、美青年ツタンカーメンの眩しい ほどの埋蔵物だって、そのものにたいした価値なんてあるものじゃない。
だけど21世紀の初めに、それらとぼくは接触し、カンケイを持ったのだから、その出会いを大切にしようと、想った。

ちなみに、まるで古代エジプトからやってきた巫女のような雰囲気を漂わせていた現地 のガイドさんは、なんと若き日本人女性。
しかしエジプト人のガイドよりエジプトに詳しい。
幼い頃からエジプトに憧れていたという、まさにエジプトと並ならぬカンケイを築いてきた彼女は、エジプトを(特に古代エジプトを)心から愛している。  
その理由は聞くまい。  
ところで生まれはどちらなんですか?
「ええ、京都なんですよ」  
えっ京都のどちらで?  
「ハイ、伏見です」  
ここでぼくがズリこけたのはいうまでもない。  
しかも彼女は熱田神宮の宮司の娘であった。  
つまり正真正銘の巫女なのだ。  
よくできた話である。  
だからお土産に買って帰ったのは、稲荷のキツネさんそっくりの神さま「アヌビス」像でしたとさ。

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