1961年 |
0歳 |
東京・練馬富士見台にて漫画家手塚治虫長男として誕生。 |
1968年 |
7歳 |
成蹊小学校入学。課外活動デザイン部。
映画『2001年宇宙の旅』を観る。原体験的イメージ。 |
1973年 |
12歳 |
虫プロダクション倒産。
映画『ヘルハウス』に出会う。生涯のフェバリット・ムービー。 |
1974年 |
13歳 |
杉並区下井草に引越す。
成蹊中学校入学。課外活動写真部。 |
1975年 |
14歳 |
映画『ジョーズ』に出会う。映画製作を決意。 |
1976年 |
15歳 |
雑誌委員会編集長。 |
1977年 |
16歳 |
成蹊高校入学。映画研究部入部。
ハリウッドで『スターウォーズ』『未知との遭遇』に遭遇。 |
1978年 |
17歳 |
8ミリ映画『FANTASTIC★PARTY』監督。
日本を記録する8ミリフェスティバル高校生部門特別賞受賞。
MOVIEMATE100%(今関あきよしら)と出会い、上映活動を共にする。 |
1979年 |
18歳 |
8ミリ映画『UNK』にてオフシアターフィルムフェスティバル(ぴあ)入選。 |
1980年 |
19歳 |
東久留米市小山に引越す。
日大芸術学部映画学科に入学。専攻は映像コース。
8ミリ映画『MOMENT』(脚本・監督・編集・出演)製作。 |
1981年 |
20歳 |
『MOMENT』発表。評判となり、学生映画に新風を巻き起こす。
商業映画『ねらわれた学園』出演。
テレビ番組『もんもんドラエティ~お茶の子博士のホラーシアター』演出、出演。
プランナー21にて20億円の長編劇映画『STORM』企画。のち中断。 |
1982年 |
21歳 |
株式会社フィルム・リンクに参加。CGやマルチメディアの現場に接する。 |
1984年 |
23歳 |
『MOMENT』がベルリン映画祭で上映される。
ミュージック・ビデオ『VIDELA』演出。
劇映画『星くず兄弟の伝説』製作。 |
1985年 |
24歳 |
『星くず兄弟の伝説』発表。
8ミリ映画『惑星TEトLA』製作・上映開始。
肩書きとして“ヴィジュアリスト”を名乗る。
日芸を中退。
株式会社パパドウに所属。マネージメントを委託する。
「最低8ミリ映画祭」開始。 |
1986年 |
25歳 |
オリジナル・ビデオ『妖怪天国』監督。 |
1987年 |
26歳 |
パール兄弟のヴィジュアルを担当。活動を共にする。 |
1988年 |
27歳 |
岡野玲子の漫画のイメージアルバム『FANCY DANCE』プロデュース。 |
1989年 |
28歳 |
父・手塚治虫死去。
株式会社手塚プロダクション取締役に就任。
名前表記を“手塚眞”に改める。
映画『白痴』企画始める。 |
1990年 |
29歳 |
漫画家・岡野玲子と結婚。
練馬区富士見台に引越す。
オリジナル・ビデオ『妖怪天国・ゴーストヒーロー』監督。 |
1991年 |
30歳 |
黒澤明監督『八月の狂詩曲』ドキュメンタリー・ビデオ演出。
ハイビジョン映像『東大寺伝説・金剛奇譚』監督。 |
1992年 |
31歳 |
橋本一子のヴィジュアルを担当。ライブなどに参加。 |
1993年 |
32歳 |
有限会社ネオンテトラ設立。
ライブ・イベント『SALON TETRA(AD1993)』始める。 |
1994年 |
33歳 |
パソコン・ソフト『TEO-もうひとつの地球』プロデュース始める。
宝塚市立手塚治虫記念館開館(総合プロデュース)。
手塚プロダクションに開発室創設。
練馬区下石神井に引越す。 |
1995年 |
34歳 |
『TEO-もうひとつの地球』発表。
シンポジウム『NEO-ANIMALOGY FORUM』企画・司会出演。
35ミリ短編映画『NUMANITE』発表。 |
1996年 |
35歳 |
処女小説『ブラックモーメント』発刊。『ファントム・パーティ』執筆。 |
1997年 |
36歳 |
任天堂64ゲーム『ジャングル大帝』製作。のち中断する。 |
1998年 |
37歳 |
劇映画『白痴』製作。 |
1999年 |
38歳 |
『白痴』発表。ヴェネチア国際映画祭他で国際映画祭参加。
『実験映画』発表。全国でレイトショー。
橋本麗香のマネージメントを始める。 |
2000年 |
39歳 |
ボローニャ他、国際映画祭に参加。
集英社より『ヴィジュアル時代の発想法』発刊。
手塚治虫公式ホームページ『手塚治虫@ワールド』総監修。
NHKBS『デジスタ』キュレーターとして参加。 |
2001年 |
40歳 |
東アジア競技大会大阪大会開会式で総合ヴィジュアル・プロデューサーを務める。
テルミンCD『eyemoon』岡野玲子と共同プロデュース。 |
2002年 |
41歳 |
『妖怪天国』『星くず兄弟の伝説』『実験映画』など、過去の映画作品がDVD化される。 |
2003年 |
42歳 |
漫画『PLUTO』(浦沢直樹/手塚治虫原作)監修。 |
2004年 |
43歳 |
映画『ブラックキス』製作。東京国際映画祭参加。
テレビアニメ『ブラック・ジャック』監督。
「サイバー刑事まつり」参加。 |
2005年 |
44歳 |
監督した『ブラックキス』と『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』の2本の“ブラック”ムービーが連続公開される。
愛知博にてダンス・オペラ『UZME』を演出。
ネット・ムービー『ザ・バースデイ』を企画、演出。 |
2006年 |
45歳 |
東京工学院専門学校のクリエイターズカレッジ顧問に就任する。
モーニング娘。主演による『リボンの騎士 ザ・ミュージカル』を監修。
坂口安吾生誕100年記念に「坂口安吾映画祭」を企画・プロデュース。
ひさしぶりの8mm映画『2006』を制作。フェスティバル等で上映。 |
2007年 |
46歳 |
自主映画サークル「フリーハンド・オペレーション」始める。
林海象プロデュース「探偵事務所5 漫画探偵539」脚本・監督。
ニコニコ動画で「国際ニコニコ映画祭」を企画し、始める。審査委員長と司会も兼ねる。
8mm上映会「PLANET8」企画制作。新作8mm映画の上映。 |
2008年 |
47歳 |
イメージフォーラム付属映像研究所の専任講師を始める。
映画『ASTRO BOY』のキャラクター監修。
手塚治虫80周年記念「手塚治虫アカデミー」を企画・プロデュース。ナビゲーターも務める。
ravexのビジュアル・プロデュースを勤め、ラトムのキャラクターを制作。
キッザニア 施設映像の脚本・監督。 |
2009年 |
48歳 |
手塚治虫80周年記念「手塚治虫展」をプロデュース。
ハリウッド映画『アトム』クリエイティブ・コンサルタント。
ジョン・フォックスとのコラボレーション作品『MIRAGE』制作。
ロンドンのアート展覧会「DNA」参加。
新潟のアートイベント「ハコラズモ」参加。
写真作品「BOX」展覧会(新潟)を行う。 |
2010年 |
49歳 |
イメージフォーラム・フェスティバルに短編映画『MIRAGES』を出品。
「にほんのうた」の1作品『花のまち』を監督。
8mm長編作品『2010(仮題)』を演出・撮影。
長編映画『神秘』企画で香港のHAFに参加。
テレビドラマ「アザミ嬢のララバイ」演出。
ニコニコ動画の「動画アワード」実行委員長を務める。
ジャパン・イメージ・カウンシル理事就任。
知的財産管理技能検定委員就任。 |
2011年 |
50歳 |
ニコニコムービー『動画探偵ぐれいと・ニコニコ連続殺人事件』を企画・監督。
新潟・安吾賞選考委員就任。 |