6月24日(水)

さくら石と撮影の鉄則


伊沢とサヨ、そして木枯

15:00ホテル出発
16:00S#59街路リハーサル
19:30撮影開始

この日は夕方までは何も予定がない。
したがって、前夜思いっきり飲んで騒いだスタッフはなかなか起きてこない。 そんな日の朝早くから、僕と製作担当の中村氏は、まだ撮影場所の決まってい ない『荒野』のシーンのロケハンのため3時間かけて足尾銅山に向かった。 歴史の教科書にも出ているとおり、かつては巨大な町であった足尾も、その面 影を残したまま静かに眠ってしまったような寂しさを漂わせていた。 何度かの行き違いで、町中を走り回った僕たちは、正午過ぎにようやく役場の 人と合流。足尾の山奥に案内してもらう。 このシーンは8月に撮影予定を組んでいるにもかかわらず、草木一本生えてい ない原野の景色での撮影。 企画当初はオーストラリアでの撮影も考えられていたのだが…。
不謹慎ではあるが、公害によって破壊された大地に期待をかけて見に来たのだ が、草木がたくさんあった。 聞いてみると公害の後を修復しようと、緑化工事が急ピッチで進められている という。口には出せないが、…残念だ。 しかし、緑はあるのだが、非常に険しい岩肌が続き、アングルを限定すれば、 迫力のある映像は撮影できる。
すると、案内してくれている町役場の人が、川岸の石を丹念に見ている。「こ の辺は通称『さくら石』という結晶のはいった石がでる。 程度のいいのは何十万もするんだがなー」という独り言のような説明を聞いた とたん、僕らはビデオカメラを放り出し、石探しに熱中し始めた。 「だめだ、こんな所にロケ隊をつれてきたら、みんな石探しで撮影どころじゃ なくなる!」自分たちの行動を見て、僕らは更に重い気持ちで、足尾を離れた 行った。
夜の撮影はリハーサルもしているし、昼間十分に休む時間もあり、順調に進む ことが予想されていた。 僕と中村氏は、これから待ちかまえている膨大な撮影の問題点について、打ち 合わせをして、暮れゆく空の下、桐生に戻りかけると、雨が降ってきた。 甘い予想をすると必ず裏切られる。それは撮影の鉄則である。大急ぎで現場に 戻ると、スタッフは総出で、撮影場所の上空にビニールシートで屋根を作って いた。 その作業で、照明が出来ない。明日には東京に戻るため今日を逃すと撮影でき ない!新潟の悪夢が再現される。 桐生初日に撮影中止したため、東京で足止めを食らった、草刈、甲田両名も、 桐生に入り準備万端。 午前3時頃ようやく撮影が終わった。
しかし翌朝は東京に帰る途中に所沢によって2シーン撮影するという、姑息な スケジュールを入れているため、朝早く出発しなければならない。 スタッフとは現金な物で、この2日間雨のため思いがけずのんびりしていたく せに、最後の最後にも関わらず、寝る時間が少ないと騒ぎ出す。 結局出発を1時間遅らせることで折り合いがついたが、深夜のため東京から来 る俳優部さんたちには連絡が付かない。 結局、美術・製作・演出部の準備部隊は、変わらず朝から事情説明のために現 場へ移動する。
とんだ4日間であった。



IE4(Mac)など一部ブラウザではメニューにあるDiaryをクリックしても制作日誌のタイトル一覧を表示できない場合があります。この場合はココをクリックしてください。


(C)Hakuchi Projects 1998