6月22日(月) 雨のち曇り

朝起きたら雨だった


『きのこ会館』でのリハーサル風景

05:20早朝撮影班出発
06:00S#13未亡人の家の外観 撮影(雨のため中止)
午前中セッティング 美術・装飾・照明部
12:15S#76&98メディアステーション・ランチルーム リハーサル
18:00S#59街路 撮影(雨のため中止)

朝起きたら雨だった。
しかも3日間降り続く予定。屋外のシーンばかりの撮影によりによって…。 未亡人の家の外観は新潟と同じ、直射が当たらない条件で撮影しなければな らない。 一般道に巨大なシルクテントを張れ、という無謀なアイデアも出されたが、 結局、日の出前の時間帯を狙っての撮影予定。 そのための早起きだったが雨では撮影が出来ない。せっかく早起きしたのに 、明日も早起きしたくない。 「現場に着くまでにやまないかな〜」という楽観的というか、すがるような 気持ちで、撮影班は雨の中、桐生市内へ出かけていった。 しかし、雨はやまない。翌朝出直すことにして、中止。
午前中は巨大なホールで、撮影のセッティング。照明部は巨大な蛍光灯ライ トを部屋の壁にぐるりと配置。 美術部は壁一面のガラス窓を、白色のパネルで覆い隠す。このパネル(サン プライ)はこの後の撮影で、困ったときに登場する美術部の隠し兵器として 使われた。 午後になっても一向に雨のやむ気配がない。雨の場合夜の撮影は中止になる。 ぎりぎり日没まで待って、天候判断しようとするが、突然照明部から「今日 、夕方判断にすると明日の分のライトが今準備できない」と言われる。 雨の勢いはますます強くなり、お昼の時点で夜の『街路』のシーンの撮影を 中止する。 急遽、桐生に向かうため東京駅まで来ていた、草刈正雄さんと甲田益也子さ んに中止を伝え、2日後に来てもらうことにする。 そして、突然の監督の内緒話。「新潟で撮影予定のシーンを桐生で撮影して もいいんだけど…」。 確かに、新潟での撮影分量が多いため、そのシーンを台本から削ろうと提案 はしていたが、そういう手で切り返してくるとは…。 急いで、製作部の中村氏と準備の根回しにかけずり回る。なんだかふりまわ されっぱなし。 お昼過ぎには翌日の撮影に備えてリハーサル。S#76&98は、同じ場所での撮 影だが7ぺージのせりふ芝居のくだり。 しかし監督は1日で撮りきると断言!。TVプロデューサー野村役の荒井紀 人さんは、3ページ近い長台詞をしゃべり続ける。 それを聞いている浅野さんは、ひたすら表情の芝居。それを2台のカメラで 一気に撮影する。 そのために舞台稽古のような、通し芝居のリハーサルが長々と行われる。巨 大なホールでの撮影なのだが、2人の俳優は、細長い中空の通路での座り芝居。 広々とした空間の一角にある狭い廊下に、沢山の機材と大勢のスタッフがぎ ゅうぎゅう詰め。 監督の“囁き演出”を聞き取ろうと、更に押し合いへし合い。一方その裏で は、急遽監督の言い出したシーンの撮影の可能性を、各パートと打ち合わせ。 しかし、あちらが肯けば、こちらが首を振る。撮影の準備は何とか出来るが 、撮影自体は相当大がかりになり、その準備と片づけで、膨大な時間をとら れることが判り、翌朝監督に「ごめんなさい」と伝える。 そして、「ここで撮影しない代わりに、新潟では優先的に撮影する」と言わ されてしまった。
長い間、まとまった休みもなくぶっ続けでの撮影をしていたため、夜の撮影 中止を聞いて、スタッフキャストはあっという間に、夜の桐生の町へ。 飲み屋の前にマイクロバスや、機材車が、横付けされていた。監督を含むメ インスタッフは、桐生出身のスタッフ岩脇伸和君の実家のお寿司屋さんへ。



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