運命の天気予報
食事会に真っ先に駆けつけた安河内氏率いる照明部総勢12名
09:00 | マイクロバス出発 (衣裳・メイク部) スバルビル前 |
13:00 | 製作車両出発 (演出部・録音部・記録・スチール・製作部) スバルビル前 |
11:00 | 撮影・照明・美術 積み込み後出発 東映撮影所 |
13:00〜17:00 | 地元エキストラ メイク&フィッティングテスト |
18:00〜18:30 | 記者会見(監督・古澤プロデューサー・浅野忠信) |
19:00〜 | 地元協力&スタッフ&キャスト食事会 |
桐生での撮影場所は3箇所。
一つは我々の宿泊場所の『きのこ会館』にある『フェアリーガーデン』という豪華なホール。
そして伊沢と木枯、サヨの3人がただ一度顔を合わせる場面の『街路』のナイトシーンに、森
さんのお宅の私道をお借りした。
3つ目は新潟で初日に撮影した『未亡人の家』の外観。「戦時中の路地と言っても、古めかし
い物ばかりではない。
当時は作りたてのきれいな家もあったはずだ」という監督の狙いで、きれいな木造家屋の森山
さんのお宅の玄関先をお借りした。
『フェアリーガーデン』は、元々『銀河の誕生パーティ』のシーンとして選んだ場所だった。
しかし、撮影にかかる日数やキャストの人数の都合上、惜しくもあきらめた場所。
「パーティ会場」としてしか下見をしていなかった。新たに『メディアステーション・ランチ
ルーム』候補になってからは、写真を元に机上での打ち合わせだけだったので、照明部、美術
部が大騒ぎで準備する。
そこで、桐生ロケの全てを決定づける出来事が起こった。桐生ロケ4日中、2日が雨予報が出
ているのだ。
そして、3日目も曇り時々雨。今回の地方ロケは段取りが難しく、1ヶ月以上も前に予定を
立てなければならない。
しかも4日間という短い日程の中で、雨が振った日には、次の移動のためスケジュールの変更
もきかない。
そのため、二重にも三重にも練り上げた、全撮影期間中もっとも贅沢な4日間。毎日雨の可能
性があるとは…。
明日は最少人数で、太陽光線が当たらない早朝に『未亡人の家の外観』を撮影。
昼の間あさって撮影予定の『メディアステーション・ランチルーム』リハーサル&準備。
昼に雨が降ってなければ夜は『街路』の撮影、というスケジュールを発表する。雨でも晴れで
も動ける体制を作る。
この組では天気に見放されっぱなしだ。しかしこの作戦が成功すれば、今日、明日、明後日と
忙しいが、4日目は晴れて一日桐生の町でのんびりできる。
帰りがけに所沢によって一日撮影という鬼のようなスケジュールから、スタッフの目をそらす
ことが出来るベストなスケジュールなのだが、予想が外れると泥沼になる。
そして、運命は悪い方へと転がっていく。
夕方からは監督・プロデューサー・浅野忠信さんの桐生記者会見。それがどんな模様だったか
は、当時の新聞を見てください。
記者会見終了後、同じ桐生倶楽部という、地元名士の方々の会員制倶楽部を借りての食事会。
浅野忠信&スタッフ、監督を囲んでの地元協力者の方々によるもてなし会だったようだが、集
まった人のあまりの人数の多さに、食べのもは足りず、結局『浅野忠信サイン会』と化してし
まった。
あわてたのは製作部で、スタッフの夕食をと思っていたのが、大誤算。急いで別場所に30人
の宴会席を確保。
しかし、連日の疲れと空腹で、スタッフはほとんど宿に戻ってしまった。後に残されたのは大
量の食べ物と、監督と数人のスタッフ。
地元ボランティアの人々と巨大な座敷の一角でお酒を飲んだのでした。
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