6月7日(日)晴れ?曇り?

あまりのギャップに戸惑うスタッフ


精神論を戦わせるまで発展した問題のシーン

04:00 先発メイク俳優部
07:30 本隊出発
09:00 撮影開始 S#2一部・爆撃後の町/S#20仕立屋・庭先/S#9一部・アパート
18:00 撮影終了予定

昨夜のファッション討論のため、不安一杯で始まる今日の撮影。
同じ映像分野でも、CMやモデル撮影と、映画の現場では、大きく違う。
その一つに、メイクにかけられる時間の長さがある。
しかし、手塚監督の今回の撮影テーマの一つに、まさにメイクがあり、
そのため、ファッション界から小林さんと勇見さんが参加している。
「メイクに十分な時間を」監督の狙いを生かすため、
スケジュールを作る上でも重要なテーマになっている。
特に今日はもっとも時間がかかり、
メイク部2人の腕の見せ所であるファッションモデルのメイク。
日々の撮影ペースを考えると10:30までにこのシーンを終わらせることも有り、
朝の4:00メイク部隊ホテル出発。
メイク部の2人はものすごく頑張った。
しかし、ようやく自分のフィールドでの仕事のためか、気合いを入れすぎ、
メイク完成・現場到着したのが10:20。
一方撮影現場でも、予定外の事件。
時間と予算を省くため、撮影する範囲を限定して急遽作られたセットだったのだが、
監督の深読みしすぎで、時間短縮のためクレーンを使うと言い出した。
クレーンで上がってみると、セットの範囲を越えて緑生い茂る空き地が写ってしまう。
一時全準備をストップして、美術部が、空き地を焼跡に作り替え始める。
撮影時間の読みは、こうして、もろくも崩れ去った。
そして、10:45撮影が始まった。
モデル、カメラマンを始め、実際の一流スタッフを出演者として集めた為、
芝居は実際のスチール撮影をしてもらい、それをドキュメンタリータッチで、
ムービーカメラが撮影する。
芝居の流れは全て、ファッションカメラマン役の小林基行さんのアドリブに御任せ。
基行さんも非常にノっていて、キャストが集合したと思ったら
もうスチール撮りが始まっていた。
その迫力に気後れしつつ、撮影を始める映画スタッフ。
突然カメラが回っている最中に、モデル撮影の一段の中に入っていく手塚監督。
どうやら、アートディレクター役を急遽作って、芝居を始めた様子。
映画チームは撮影の藤澤さんのアドリブで撮影。
2人のカメラマンが、互いに燃え始め、お互いフィルムが無くなるまで、撮影し続ける。
そうは言っても、あちこちで火が燃える瓦礫の中で、
”最新モード(未来形?)で身を包んだファッション撮影”をしている内に、
昨日までの”太平洋戦争を再現していた撮影内容”と、あまりの違いにスタッフ一同、
今撮影しているものは、はたして『白痴』の内容にあっているのだろうか?
よく判らなくなっていく。
唯一判っているのは監督ただ一人。ということが、この先次々とでてくるのであった。
午後からは6月3日に雨のため撮影を延期した、木枯が伊沢の前に登場する、
仕立屋の庭のシーン。
再び路地のオープンセットに戻ってくる。
”草刈正雄さん扮する木枯が、庭に侵入し、豚に墨で絵を描いたり鶏を追いかけ回したり、
それを浅野忠信さんの伊沢が呆気にとられてみているというシーン。
”豚の背中に絵を描いたり、室内の伊沢のライティングなど、
時速0.5カットのこの組では、一日掛かり。
ところが、浅野・草刈・藤村の芝居の良さもあったけど、
照明部のがんばりもあり夕方にはほぼ撮りきってしまった。
あまりのことに、唖然として、思わずアパートのスリの下りも、
ライティングで夜を昼に変え撮り進む。
20:00には終了。
撮影のペースはあがってきた。
ようやく路地の撮影になれたためだろう。
このまま新潟で撮影が続けられれば、もっとペースは乗ると思われるが、
予算を含めた様々な都合で、2日後にはいったん帰京する
その東京で待ち受けているものを、予想できるスタッフは極く僅かしかいず、
みんなは明るい笑顔で撮影に励んでいた。



IE4(Mac)など一部ブラウザではメニューにあるDiaryをクリックしても制作日誌のタイトル一覧を表示できない場合があります。この場合はココをクリックしてください。


(C)Hakuchi Projects 1998